部屋と戦隊と私。

スーパー戦隊が好きな5歳女児のブログです。

緑色のライダーな弁護士のこと(推し語り第1弾)

ハイハイハイ推し語り第1弾です。

そもそもブログを始めた動機って基本『推しを語りたい』なんですよね。Twitterじゃ文字数的に厳しいヲタクの独り言を記録したいなって。

推し作品や推しキャラへの愛を爆発させた文章を書くのが目標です。

 

さて、そんな第1弾。

誰について語ろうか……やはりここは初恋の相手かつ最愛の彼にするべきか、それとも特撮出戻りの原因になった彼か、それとも急激にドはまりして関連書籍を一瞬で買い集めさせられた彼か……などと考えていました。考えてはいたんです。

でも、昨晩急に、ぽっと出の浅い推しである彼について語りたくなってしまいました。

 

そんなわけで、今回はタイトルにある通り緑の弁護士さん……仮面ライダー龍騎の登場人物である、仮面ライダーゾルダ/北岡秀一について語りたいと思います。

私にとって北岡先生って一番最近推し始めたキャラなんですよ。ていうかまだ好きになって1週間も経ってないくらい。というのも、龍騎を視聴したのがめちゃくちゃ最近でして。

全話視聴の中盤くらいから先生好きになったんですけど、「好きだな~」って思い始めてから急に視聴が楽しくなったので驚きました。推しisすごい。

で、駆け抜けるように最終回まで見てTVSP見て。劇場版は未視聴&小説は明日あたり届くらしいです。私にとってはTV本編の世界が絶対的至上なので、この語りも基本はTV本編の世界に準じています。

 

あと、少し書いてから思ったんですけど、想像してたほど推し語ってません。なんか結構な割合で推し関係ない話しています。あと改行箇所考えるのが死ぬほど苦手なので読みずらいです。

 

 

  • 先生の最期

最終回で、結末を知ってはいたけれど良くも悪くもメンタルアタックされたヲタク。

 つらい。とてもつらかった。何がつらいって、先生の最期は悲しくないからつらい。これはまじで人によって受け止め方が違うと思うんですけど、少なくとも私には先生の死を悲しむことなんてできないです。だって、最終回での先生のシーンはあまりに綺麗で、血みどろのライダーバトルに身を投じていた人とは思えないほど『良い最期』だと思ってしまったから。

戦いの中で命を失うのは視聴者から見て非日常的だし恐いし悲しいです。他者を傷つけるミラーモンスターやライダーを恐れ、「戦いさえなければ死なずに済んだのに…」と悲しむことができます。その点において私が一番悲しめたのは香川教授の最期ですかね。散々家族の描写がされた後だったこともあってとても悲しかったし、東條くんの異常性が恐いと強く感じたし。

でも、先生の最期は病死で、普通では避けられないものでした。その運命を変える為にライダーバトルに参加したわけですけど。

でもライダーバトルで勝ち残るのには、基本は他のライダーを倒さなければ、直接的に言うと殺さなければいけません。他のライダーが勝手に殺し合って減ったり事故死してくれたり、他にも逃げ道*1なくはないけれど、最終的には変身者不明かつ神崎士郎の代理扱いとはいえオーディンとサシで戦うわけで。実在さえ不明のオーディンも人とするなら、全く手を汚すことなく願いを叶えることは不可能といえます。

ここは私の価値観でしかないけれど、やっぱり人って殺しちゃダメだと思うんですよ。現実の社会的なルールとしてでなく、創作でもダメだなって。創作上でバンバン人が人殺すのは全く問題ではないし誰も人を殺さないってなるととっても物語の幅が狭くなるので困っちゃうんですけど、でも創作の中でも見る側にとって『人殺し=ダメな行為』って認識になってるんだよね、っていう。故意に他者の命奪いました~でも良い奴なんです~はちょっと違和感ない?みたいな。実際のに龍騎の本編でもOPに登場するような看板の龍騎とナイト*2は不殺のままでしたし、現実社会のルールに従って生活している視聴者ないし製作者は、やっぱりどこかで人を殺すことを不当とする価値観は捨てきれないんだろうと思います。

若干メタ的かなとは思いますが、その点において、先生も結局誰一人殺さない、こちら側の価値観においての正しい人物として描かれ切ったといえるのではないでしょうか。で、これまた私の個人的な意見なんですけど、基本的には人って殺さないほうが幸せなんですよ、多分。破壊的衝動に身を任せるしかない浅倉とかは別として、少なくとも一般社会で特に恨みつらみを持たずに生きているのなら、自分の殺した命なんていう重荷を背負わないほうが圧倒的に幸福だと思います。*3

っていうか、上に載せたツイート(誤字があって恥ずかしい)の通り、人を殺す殺さないは別にしても先生ってめちゃくちゃ幸福だったんですよ。

正しく幸福にある限り避けられない運命が死だったとして、私は好きな人物の正しさや幸福さを悲しんだり否定したりはできませんでした。

 

  • 強さと弱さ

最初に抱いた疑問はこれでした。

登場当初と終盤の先生を見比べてほしいんですけど、最初の頃の先生ってめちゃくちゃ性格悪いっていうか、ライダーへの当たりが強いんですよ。冤罪利用して真司くん貶めようとしたりとか、蓮を「青臭い」と切り捨てたりだとか。まあライダーバトルに勝ち残るんだからガンガンいじわるに行くのは正解ではありますが、かなり感じ悪いです。現実世界では弁護士という社会的地位、ミラーワールドでは破壊力抜群*4のファイナルベント、と言うならば強者ポジなんですよね、でかいし。
で、終盤になってくると真司くんや蓮との交流とかもあってかだいぶ性格が丸くなります。病状の悪化を感じ、勝ち残ることに無理を感じたからというのもあるでしょう。戦いに余命を費やすことへの虚しさというのもあったと思います。
つまり、複合的な理由によって先生は、より丸く柔らかく、ライダーバトルに向かないライダーになっていったということです。
しかし、北岡秀一というキャラクターは必ずしも物語の時系列に沿ってその性質を変えていっただけではありません。
ここで挙げたいのは、22話23話の場面です。
22話では浅倉が先生や他のライダーを呼び出す為、ゴロちゃんを人質にとりました。そんな中で先生は、事務所にやってきた蓮に向かって「ライダーとして戦うのは自分の為だけ」と言います。その一線を踏み外すとお前たち(恐らく蓮や真司くん)みたいに弱くなる、と。それでも食い下がる蓮に先生は怒り、そしてライダーバトルに発展しました。バトルってか喧嘩ですね。
そして23話、互いに消耗しバトルを終えた後もなお、他人の為の犠牲は美しくないと言って助けに行くそぶりを見せない先生に蓮は「最低だな」と吐き捨てます。このとき、間髪入れずに先生は「だから強いんだよ」と言いました。この台詞は先述の「一線を踏み外すと~」という言葉と同意であり、初期の先生の信念を物語っています。
しかし、先生はこの後蓮が去ってすぐに、堪えきれなくなったかのように外へ出ようとするんです。おそらくはゴロちゃんを助けに行く為に。結局、先生がドアを開けるより早く自力で脱出したゴロちゃんが帰宅し、先生は安堵しました。
わかりますよね、すでに先生は自分の言うところの『弱さ』を持っているんです。まだ夏の馴れ合いギャグ回よりかなり前の話です、これ。先生は自分なりに強くあろうと思っているし実際にある一定のラインまでは非情で強くいられるけれど、どうやっても情を捨てることはできないし自分の為だけに生きること*5はできないんです。生は真司くんや蓮と同じ、最初から一貫して強くもあり弱くもある等身大の人物です。そこが魅力的なんです!!!
さて、項目の最初に載せたツイートの疑問からはずいぶん脱線してしまいました。肝心の疑問についてですが、実は私には未だ納得のいく答えは導き出せていません、テヘ。というのも、きっと先生にとっては戦いを続けることも強さであり、戦いを諦めることも強さであると思うからです。
自分の為に、永遠の命を求める。その行為の追求は先に述べた先生の理屈でいうところの強さです。だって自分の為だけの戦いですから。しかし、だからといってその強さを諦めることがすなわち弱さではありません。戦いを諦めるのもまた、先生にとって自分の為の選択なのだと思います。戦いに倒れるのではなく、好きな女性をデートに誘ったりして幸せな最期の時間を過ごすというのもまた、先生のいわば我儘なのではないでしょうか。
我ながら無理のある内容かとは思います。
ただ結局は、『自分の為だけに戦う=強さ、そうでない=弱さ』という、恐らくは先生が精一杯考え出したごまかしのような理屈*6を否定せずに、先生は強かったんだよ!と言いたかっただけなんです。その為だけに1500字近くつかってごめんなさい。
 

・おわりに

さて、今回はとりあえずここら辺で終わりにしたいと思います。なんか気が付いたら4000字超えてました。数日に分けて、本編をまったり見返しながらここまで書いたのですが、多分もう数日寝かせたら5000字1万字になってしまっていたと思います。あぶなかった……。
また本編見たりしていて「先生のここも語りたい!!!」となったらこっそりこの記事に追記していくと思います。そのときは生暖かい目でよろしくね。
 
 
 

・追記① 由良吾郎と浅倉威と先生

注目してほしいのは、ファンコレの方の浅倉とゴロちゃのフレーズ。執着忠誠

初見時、これらの言葉の中心にいるのって結局は先生じゃん!と感じてひっくり返りそうになりました。ファンコレはこの他にもヲタクを卒倒させるようなことが沢山書かれているので是非買ってください。いやまあamazonだと軽率に買ってとは言えないお値段なんで、もしお手頃価格で見つけたら買ってね、みたいな。

仮面ライダー龍騎―ファンタスティックコレクション

仮面ライダー龍騎―ファンタスティックコレクション

 

 で、一応注意(?)なんですけど私はめちゃくちゃ先生のことが好きな人間かつわりと推し=世界の中心みたいなヲタクなので、以下はとっても偏った目線での内容です。ていうかこの記事自体がまあそうなんですけど、この項目は特に偏ってます。冷静じゃないのは自分でも承知なので冷静なご意見は求めてないよ!

 

ゴロちゃの『忠誠』。これはもう先生以外にないじゃないですか。ゴロちゃの行動って基本的にすべてが先生の為なんですもん。たしかに忠誠としか言いようがないです。

弓削さんのインタビュー記事で、私が個人的に「ほう!」となったのは以下の部分。

(前略)

でも浅倉には勝てなかった……それは勝ってはいけなかったからだと思うんです。だって、以前に浅倉を車でひき殺そうとして(北岡)先生に「吾郎ちゃんはそんなことしなくてもいいよ」って言われていたから。

(以下略)

朝日ソノラマ仮面ライダー龍騎 ファンタスティックコレクション』p.17

そっか、ゴロちゃの戦いは先生のやり残したことを遂げる為だったけれど、そこで勝たないことすらも先生への忠誠ゆえだったんだ、と。たしかに、ゴロちゃが浅倉を轢き殺そうとしてそれを先生が止めたシーンは印象的でした。作中でもトップクラスに良い人なゴロちゃが先生を付け狙う存在の命を奪おうとする、それって彼の中で道徳<先生だってことだよなぁって。まあ浅倉は歩く非道徳なのでちょっとアレですけど。でも、ゴロちゃの中で先生の言葉が重さをもって存在してた

ゴロちゃの忠誠の先が先生に向いていることはまあ疑いようがないっていうか、今更にこれ以上説明するまでもないことだと思うので、短いけどこの辺で。

 

さて、浅倉の『執着』。これは先生だけじゃなく、令子さんを騙してまでして亡き者にした弟や、一時の東條くんに対するものとかもひっくるめての表現だとは思います。うん、威くん冷淡に思えるけどわりと拘りとかあるもんね、わかるわかる。

でも、作中で浅倉が何に一番執着してたかっていうとやっぱり先生だと思うんですよ。これについて、私がいくら理屈捏ねて語ろうとも敵わない表現が前述のファンコレの中に書かれていたので、引用しますね。

最終回について……北岡を執拗に、恋焦がれるように(笑)追いかけ続けて、叶わなかったわけですけど。そして散っていくわけですけど ……

中略)

例え、その後、撃たれて殺されようが、死んだ先に北岡がいるだろうと。

以下略)

朝日ソノラマ仮面ライダー龍騎 ファンタスティックコレクション』p.15

これ、浅倉威役の萩野崇さんのインタビュー記事の言葉なんです。大きい字の部分は見出しのような部分にも引用されている部分です。

 ……初めて読んだとき、ちょっと衝撃過ぎました。あくまでも演者さんの解釈ではあるんですけど、「えっ、浅倉は先生を追いかけ続けて…叶わなくて…散って……いやいやその先にいる先生まだまだ追いかける気満々じゃないか……!?」って。やっぱり浅倉の執着って先生じゃん、って。

 

先生は、少なくともこの2人の男の最期にあまりに大きい影響を与えてしまったんじゃないですか? ゴロちゃも、浅倉も、先生だけを見据えて、先生のいる方へと逝ってしまったんじゃないですか。

自分でもだんだん何言ってるかわからなくなりそうなんですけれど、正直ちょっとこわいです。先生の最期は幸福なものだったと信じられるんですけど、その人生は人間ひとりぶん以上の重さになってしまっていたのではないかと思うんです。先生の人生と、ゴロちゃや浅倉の人生とはあまりに交わりすぎたんじゃないかって。

仮面ライダー龍騎は命の物語です。それぞれがそれぞれの命を使って何かを成す物語です。

先生の命は、なんていうことを『成して』しまったのでしょうね。

*1:デッキ壊すだけだから殺してはないよ~ってやつ。蟹さん戦のナイトとか、インペラーに対するタイガ&王蛇も一応そんな感じかな?

*2:ナイトは蟹さん志望の遠因だけど

*3:英雄になりたくて身近な人を殺した東條くんは逆に、殺した命の重みによって自分の中の英雄レベル(笑)を上げてたみたいですし。

*4:ただし成功するとは言っていない

*5:「戦わなければ生き残れない」物語において戦うこと=生きることだと思っています

*6:個人の解釈です